2010年11月14日日曜日

2009/11/8 お金のなる木 un albero di soldi

私はお金にはケチです。

けど、お金にケチることで精神的に負担がかかって生活に支障がでるな、と深読みしたときは、お金のことは気にしないことにしています。
なので、「今日はスーパー○○のポイントカードが3倍だから買い物して帰ろう」とかはあまり思いません。
けど、近くのスーパーは私が行くと2分の1ぐらいのたいていポイント倍デーになっていて得した気分です。
なので、最近はそこばかり行っていたんだけど、この間、突然カードがなくなってしまい、レジでごそごそごそごそ最後まで往生際悪くやっていたのだが、レジの人はカードを持っているかすらきいてこなくて、結局レシートだけ受け取ってすごすごと袋しまいコーナー(スーパーの中のあそこはなんて言う名前なのか?)で喉のつかえがとれぬまま買いすぎた品物を鞄に入れている私の姿があった。

私の心の中に、なぜか「お金のなる木」というイメージが子供のころからあります。
たぶん小学生のときに「あさりちゃん」という漫画を読んでいて、そこで主人公のあさりが500円玉のなるお金のなる木の鉢植えをもらってくるエピソードから植え付けられた記憶だと思います。

お金をためるのが下手なので、お金のなる木などをベランダに鉢植えなどにして待ちぼうけなど、正直してみたいとも思わなくもないのですが、世間体やモラルというものもあり、その話はそこそこ親しいドイツやイタリアの友人にメールでちょいと愚痴った程度で、あまり公にすることがありませんでした(そのときは、結局ドイツの方はその話題はスルーされ、イタリアの方は「え、何の木??」と演技なのかマジなのかわからない好奇心を醸し出す疑問符付きで返信が来た)。

で、なんでその話かというと、やっぱり去年イギリスで浪費してしまった分のお金を今年は是非取り戻したいと思ったのですけど、やっぱり特にお金がたまる努力もしていない(あまり仕事で成果を出してもいないし、かといってお金を節約する意思はあっても、続ける心の強さが無い)ので、海外に出たりするのは今年はきびしいのかなと思いつつ、やっぱり冬休みとかにはまたどこか海外行きたいなとも思っている今日このごろなのでした。

古代のお金に依存さるる余田


(2010/11/14)そして、そこのスーパーはつぶれました。

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