2011年11月24日木曜日

みかん

みかんの美味しい季節になった。

子供の頃と比べると、身の回りで食べられる果物の種類も少しずつ変わった気がするが、みかんは変わる事のない永遠の親友のようである。

身の回りの風景にみかんがあると安心してしまう。
仕事場であろうが、外の風景であろうが、私的な空間であろうが。

イタリアに飽きに旅行に言った時、滞在先の家のお母さんが、最後にみかんを持たせてくれたのも良き思い出。

今度ペットを買ったり、新しいプログラムの開発コードなどを名付けるときは、たぶん「みかん」になるだろう。そう思ってしまうくらい、毎年今頃になるとみかんのことを考えてしまう。

2011年11月6日日曜日

eggplants

This is not the first time I write about eggplants.

But, every time I sense that my stomach claims eggplants, especially around this time of year,  and it almost feels like a totally new experience which I was longing for.

Actually, it was different this year.

I met a friend from Italy last month and showed her my favourite book of recipes bought at Bologna. Hearing my complain that those descriptions in Italian language is not plain, she picked some easy ones, then I was destined to cook eggplants once again.

Last year, it came out as a Chinese cuisine. Not bad.
This year, I used an oven.
When I finished cooking and tasted it, I was surprised by how that makes a difference.

Autumn leaves but my passion for eggplants shall not be ceased to fail.
Eggplants, I will make your sleep my song.

2011年8月1日月曜日

スマートフォンのアプリ

AndroidでもiPhoneでも、最近は簡単にアプリがダウンロードできて、
便利だと思う一方、何を選んだらいいのか途方にくれることがある。

Androidマーケットはソフトを買う段階で
レビューが見えるんだけど、
雑誌とか、他のわりと静的なコンテンツで、
「これはいいよ」
「このジャンルのソフトならこれが最高」
とか言っているにもかかわらず、そういうリアルタイムなレビューを見ると
「○○しようとしたらデータ消えた!最悪」とか結構簡単に
書いてあるので、どうしようかと思う。

レビューというのは、怖いと思う。
たとえばAmazonとかでも総合評価でも☆5つなんだけど、
よくみると大多数が高評価ながら、☆1つの人がまばらに存在していて、
それが実はまっとうな意見だったりする場合もある。
そもそも何か個人的な思い入れがある場合、
「絶対オヌヌメ!みんな買うべし☆」(そんな言葉づかいじゃないかもしれないけど)
なんてあまり何を評価しているのかわからないまま
☆5つついていたりして、本当にただのサクラなんじゃないかと
思ってしまう。

で、ソフトウェアの評価なんていうと、
さらに複雑で、環境とかOSのバージョンとかによっては、
やっぱり使えないものがあって、
でもやっぱりソフトを開発している人が
自分のそれをリリースする直前までの全てのバージョンについて
テスト完了できている、なんていうのは
相当稀だと思う。

結局、動いたら幸運、
動かなかったら残念でした、
みたいなのが私の中では結構ある。

というのも、私は子供の時に
パソコンを買い与えられたものの、
富○通の特殊な位置づけなラインナップのうちの、
さらに始めてのコンパクト機、という代物だったので、
みんな動いていると言っているものが
動かなかった覚えがある。
一番ひどかったのはWindows3.1(そのときは最新!)で、
これは絶対必要だと思って数万円を払って
買ったものの(もちろん親が払って)、
やっぱりインストールすらままならず、
やっとの思いで動いたものの
かたつむりのようなスピードで
あの懐かしい起動音の後にお茶を煎れられるくらい
時間を食っていた覚えがある。

まあ、何が言いたいかというと、
書き込めるからっていって、安易にレビューとかで
ひどい物言いをするのもどんなものかと思いまして。

そもそも携帯電話でそれだけ色々できること自体、
ありがたいと思わないのか。

2011年5月22日日曜日

ipad2

One of my coworker bought one(he has also the first generation iPad), and another guy tried to make me buy a similar gadget(i.e. white iphone or android device).

When I saw it on the office, I think it's neat - or at least you can make what you do looks neat with that "magical device".
Presenting your documents with the application or whatever.

But, when it comes to my personal life, I won't say I want it.
I'm not so excited when I imagine me using it in my bedroom.

I spend many hours in front of the computer's display in my free time.

When I bought my first PC with my earnings (means one which I bought after I got my first job), it was a small windows PC laptop, with a 12-inch LCD display.
Now I have a 20 inch display for my mac-mini.
If the PC has an ordinary browser, I can spend 3 or 4 hours without any interruption.
I might do some drawing and movie editing, and that's not something I would do in the couch.

When I feel like watching movie, I like it on the screen as big as I can afford.

If the same kind of demands rise with any hand-held device, I will want to experience it just like another laptop. Multi windows, full keyboard, and music(mp3) player with the same audio output.
The tablet does not fit to my life for now.

I would like to explain it more later once I get over a hangover.

2011年4月30日土曜日

余田が雑誌を上手く読めない理由

私は昔から雑誌類を買うだけで、うまく読めたためしがない。後から、すごく無駄使いをした気になる。

まあよく考えてみれば本もあまりうまく読めていないんだけど、雑誌のほうが、何と言うか扱いがひどくなっていまう。何かの下敷きになったりとか、丸めてどこかに入ったまま放置とか。

実際本より雑誌のほうで無駄遣いになっているという(家計簿的視点での)統計が出ているかというと、そうでもないと思う。厳密には計算していないけど。

では、どういうことなのか。

本を読むのは嫌いではない。

それなのに、日常生活ではたいてい読書よりももっとプライオリティーが高いことがある。結果、本を読むのはどうしても途切れ途切れになってしまう。仕事がある日なら、休み時間とか、会社から比較的早く帰って来れた日の夜だとか。

でもやっぱりペースが自分が計画していたのと比べ、遅くなってしまう。

最近まともに読めたのは Vitezslav Nezvalの Valerie and her week of wonders。

これは動機があったのというのと、比較的持ち歩きやすい本だったのが大きかったかもしれない。

で、雑誌はというと、技術○論社のSoftw○re Design(別に中傷ではないのだが、何だか伏せ字にしたかった)。
というと、到底昼休みに持ち歩ける感じではない。
私がお昼を食べるのは会社の組合つながりの日本料理屋なので、人に見られるのがはばかられてしまうのだ。

私が読む雑誌というのは月刊誌だから、というのもあるのかもしれない。

先ほど述べたようにひと月周期で読み切れない、というのもある。

しかも月刊ぐらいだと、前の月のを買わなかったりするのが嫌なので、読まずにたまってしまのである。



ということを、部屋の片付けをするために思う。
今日の片付けでは、クリスマスのイルミネーション特集のを見つけた。
どういう心意気で買ったかというと、こんな感じだ。

「毎年12月は忙しいから少し先取りしてこういう雑誌を読んでおき、社会の流れを知っておこう。」

で、最初の2、3ページを読んでみて、そのイルミネーションのところに行く前に、何か面白い記事を見つけてそこに気が取られて結局肝心のイルミネーションについては読まなかったことを思い出した。今日は4月の最後の日である。去年は結局年末はてんてこまいでイルミネーションはおろか友達にも1回会ったのみである。

最近は一般書籍の電子ブック化が進んで、こういう性癖の私でも何とかなるか?と思ったこともある。最近は洋書であればKindle for Androidを使ってスマートフォンで読んでしまっている。

ただ雑誌だと私が読みたいのは日本語のものが多い。

でも日本語まわりの電子ブックの規格はあんまりまとまりがないし。

というわけでやっぱり紙の雑誌を買って、そして読みきれないのである。


やっぱり、雑誌だから、雑に読んだ気がして、それでもったいない気がしているのだろうか。

2011年4月3日日曜日

サガフロ


すごくマイペースな話題です。

もうかれこれ10年以上前のゲームらしいのだが、
全然やめられない。サガフロ、こと、サガフロンティア。

PSPのゲームアーカイブスに入ってて600円とお買い得だったので買ったのだが、
数千円出して買った最近のゲームより面白かったし、ずっとプレイ時間も長い。

T260G編、アセルス編を終え、

そして今週、「レッド編」をクリアしてしまった。

ずっと迷ってばかりだったので今回はキャラクタのレベルがかなり上がってて殆どボス戦も接戦な感じではならなかったのだが、最後に敵の本拠地に着くまでブラックレイという戦艦(?)の中を逃げ回るミニゲームがあって、ぐぐったのだが、結局自分で地図をかいてしまった。



みどり色のが、エレベーターで1,2,3階を自由に行き来できますが、その場にきちんと台がないと乗れない。
最後に月下美人というとても強い剣(正確には「刀」ですね)を取りたかったので、1階にあらかじめエレベーターを準備しておいて、最後に1階からエレベーターを使って2階へ行って、上の宝箱の部屋に行きました。
これを1度も同じ道を通らないように10回違う場所にいけばいいらしい。
その前に同じところを2回通ってしまうとボス戦のあとに勝ったのにゲームオーバーという悲しい展開になってしまうのだった。

この「レッド」という主人公のシナリオ、何となく雰囲気的に難易度が低い、というかあまり頭を使わなくてもいいんだろうという予想を立てていたせいか、あまり調べものをしていなかった。
結果、ここで何度かやり直しする羽目になった。

こういうゲーム内地図を自分で描く作業が、子供の頃はできなかった。
たいてい「攻略本」があったり、ゲームのことしか頭にないので地図を脳内でかなり明確に記録していたのかもしれない。

今はこういう絵とか図を描くのが楽しみである。
すごくショボい感じになってしまっても、それがいいと思って小さな幸せな気分になってしまう。

逆に、今はゲームをやる時間がそんなにあるわけではないし、どうしても日常で色々と覚えていないといけないことが多いせいか、ゲーム内地図などは全くといっていいほど覚えられず、ゲームの中にそういうのを確認する機能がないとまるでだめである。

家から会社までの痛勤マップとかも面白そうなのかもしれない。
まあ誰が見るのかという話ではありますが。


2011年3月6日日曜日

IT系

わたしの仕事はIT系だ。

初めて仕事をした時からそうだったので他の業種でどうなのかはわからないけど、
この業界の良くも悪くもな点というのが、

とにかく新しい技術を素早く理解して、

でもって、

今までできなかった仕事を効率化

までしないといけないのだが、正直そんなにうまくいった試しがない。

新しい技術なので、ある程度ハズレが来るのを覚悟したうえで勉強しないといけない。習得したけど結局後から使われなくなったとか、もっと新しい技術のほうが便利で時代がそっちに移った、とかは結構経験した。

それでもわたしが最近思うのは、世の中の動きに敏感でそれに柔軟に対応するか、ということなのかということ。

例えば、いまでいうとAndroidなんかが流行っていますが、わたしはこういう流れだと、端末や本はいちはやく買ったりするのですが(けっこう高いと思いつつ)、それで自分の好きなようにアプリを入れたりちょっと開発キットをいじっておしまい、ということはよくある。

だけど、それだとお金ななくなってしまうだけで次につながらないのでそのあたりをどうにかしたいとは思っています。技術に触れただけじゃなくて、使って何をしました、っていう話になるのが目的なのに、毎日の喧噪の中でいつの間にかうやむやになって気がつくと技術書とか端末とかが、部屋のどこかでホコリをかぶっている…そういうのを見るともったいないと思ってしまう。
CVだけなら体裁を整えられても、それだと同業者の人と話した時に、レベルがきちんと年数分上がってるかどうか、見破られてしまうことがあるだろうし。

まあわたしは仕事と生活を分けたいのもあって、
そのせいで、勉強を継続している中のある時点で
レベルアップする前に「今はとりあえずここまで!」「まあ、一応本は開いたから…」と切ってしまっているのかもしれない。

とここまで書いて、やっぱり仕事以外のことが書きたくなってしまうので、
今度はもうちょっとうまく話を盛り上げたいと思います。

たまにはこういう話題も書いてみたいと思ったので。

2011年2月6日日曜日

冬のcrispsの思い出



今日はお昼が忙しくてお菓子になってしまったのだが、

イギリスにいた頃の土曜日は、結構そんなのが多かったなあ、
といまさら思ってしまった。

私がイギリスにいた時期は1ポンド250円もしたので、
お得なはずのサンドイッチとドリンクのセットを買おうとしても


4ポンドくらい=1000円


になってしまっていた。


平日は午後の授業まで終日身体を持たせないといけなかったから、
ちゃんとしたものを買って食べていたものの、


学期末で追い込みになって土曜日にきていたときとかは、
walkersかSainsbury'sのcrispsと500mlのミネラルウォーター、なんていうときもあった。
というのも、


 - この2つは学内の自販機で買えるし、かさばらない。
 - スーパーなどでまとめ買いしておけば、かばんに忍ばせて(?)おいていざというときに出せる。

ので、時間が少しでもおしいときは、そんなものを食べて、
それでもたせていたものだった。
学内にスーパーはあるのだが、買おうとする時間帯に既に閉まっていたり、
微妙な位置にあったり、というのがあった。

もっとも、日本に戻ってフルタイムの仕事を始めてからは、
そんなではもちません。


それ以上に、昼なんて仕事場を離れて落ち着く時間がほしいし、
当然定時になんて帰れないので途中でしっかり補給しておかないと
ということで、とも思って外で食事をとっているが、
案外炭水化物と水をとっておけば身体って「いちおう」もつんだな、
ということは体感している。
それでも夜とかは果物とか野菜は気にしてとっていたので、
大病にはならなかった。と思っている。
まあ今あれをもう一度やったらできないと思うけど。
そんな中でも、連日crispsとミネラルウォーターのときは、
crispsの味を違うものにするというささやかな
楽しみなどもあったものでした。

日本にはポテチの味としてそもそもソルト&ビネガーという
発想がない、とはスコットランド人の友人の話だが、
私自身も帰って来るとときどきあれが食べたくなってしまって
同じ色のプリングルスとかを買うと全然違う味だったりするわけです。


まあ

2011年1月10日月曜日

日本映画

PSPでビデオとか映画とかがダウンロードできるようになって、でも見てみたらこれは一般向けでもないんじゃいかなというものばかりであまり目に留めていなかったのですが、今年になって早速2本見ました。

「犬神家の一族(1976年版)」
今更なんですが、ネタの宝庫のような映画でびっくりしました。

それとも、リスペクトしている人があまりにも多いのか。
ほとんど展開は読めているんですが、
とにかく「日本の家」の陰鬱な雰囲気がこれでもかというばかりに
伝わってきて本当にお気に入りでした。

原始的なディレイの強いSEも好きです。
繰り返される探索のテーマ音楽が渋すぎて、途中笑うところを間違えました。

「時をかける少女(1983年版)」
これは大林宣彦監督のものらしいのですが、何か粗いコラージュ感覚と映像テクニックは何かで見たなあと、思っていたら同監督の「ハウス」という映画でした。海外ではKiller Lampshadeで検索すると問題のシーンが出て来るわけ(引っ越したてのころは毎朝これをYoutubeで見てゲラゲラ笑っていました)ですが、こちら「時をかける少女」はギリギリ学生ものの青春物語になっていたので、まあ正式にレンタルできる代物になっていてストアに並んでいる事実にも納得しました。

それにしても、原田知世はこんなだったんですね。


でも2作通して思ったのは、日本の女優の話し方って変わりましたね。
今のドラマなど見ていてもこういうしゃべり方をする人っていませんが、やっぱり俳優のトレーニングのしかたとかが今とは違うんでしょうか。
発声がいい、悪い、とかというよりも何か根本的に違う空気のなかでしゃべっているように聞こえるのは、録音の質が変わったから、というのもあるんでしょうけど。

インプットする時間があんまりないのは今年も変わらないのですが、
せっかくテレビも買ったので、もっとゆったりと映画を見ていきたいものです。

2011年1月8日土曜日

2011 yoda no kanasimi

Today, I write my witful diary as my third schizopherenic personality, the pessimist Yodango.

 (The first is the daydreamer-hell-goer Yodante, the second is the dadaist Yodard(pronounce like Jean-Luc Godard), by the way.)


My birthday is in January, and past unknown by everybody, every year in the valley of forgetfulness.
Normally.

This year, two of my colleagues remembered the day and said to me happy birthday, probably thanks to the e-mail broadcast to the company. I didn't ask them to list my birthday - actually I didn't want it that way as that is a part of my personal information... I am happy to hear such a thing from people around, though.

One of my friend sent me a message in time too. I sent the e-mail to him at the beginning of the month so that he would not miss it. Otherwise people forget my birthday soon, because it is at the strange moment in which I think people go back from vacation to work.  It was a success that I believed in his personality that he never lets people down by omitting kind words with thoughtless justifications.


But happiness has always an end.

January is also a month of the foreboding ceremonial events for me.

At the beginning of the year, we Japanese have to decide policies for the year, and in my company it takes a form of a long, (hey I didn't say boring) meeting in which each employee has a ms powerpoint presentation filled with sordid lies - unattainable goals, tricks to fall your rival colleague to a pit. Then when the ritual ends, we hold the "celebration" where only magpies could collect their shares of crowns of Ebisu Beer.
I want to skip it every year, but this year I feel badly so, because the last year was full of failures. I was useless as an inversed capital Y character. The analysis tells me that, well, every pieces of work I was assigned last year have too many factors beyond my estimation, but, yes, here I am not allowed to use a negative word. The best way I could rephrase it is..."Every pieces of work have a new element in it and I enjoyed it, and I learnt many new things...?" Oh, yoda, oh, yoda!

Another most terrifying event is the coming of age.
I will tell you a story in details about my tragedy someday, but the ceremony left me in a state of solitude, because I didn't want to have it with others just because we happened to be born accidentally in the same town at the same age. 

Tomorrow comes someday. Everything is so unreal.

Yodango


と、たまには横文字でやっちゃってみました。