2010年12月12日日曜日

2009/3/17 Andi Mente アンディーメンテ

あまり大きい声では言えないが、ゲームが好きだ。
といっても、ゲーム機は携帯かつ前時代系しかもってない。DSは話題についていきたくて中古で買ったが、いいソフトがなくて結局売ってしまった。いまあるのはファミコンカラーのGameboy microだけ。これはかなりちっこいので旅行時の飛行機・バス・電車移動のおともによく使っていた。
さらに大声では言えないが、パソコンでやるフリーのゲームも好きだ。
古くは中学のときにFM TOWNSという富士通のパソコンを家で買ったのだが、これについてくるフリーソフトウェアコレクションというのが好きで中に入っているゲームをよくやっていた。
あとの評価とかを見ても、このパソコンはパッケージソフトよりフリーソフトのほうが秀作が多かったそうだ。
そんな時代のゲームを思い出させるのが、アンディーメンテの作品。

最初にやったのはスター・ダンスというゲーム。大学の夏休みだったと思う。始めた当初は、グラフィックがある意味「稚拙」に見えて、これは自分で絵を描くのがあんまりじょうずじゃないけどプログラミングが大好きなタイプの中学生・高校生とかが根性で作ったような感じのものなのかな、と思ったものだ。別の言い方をすれば、マウスでMSペイントを使って線を殴り描きして、色を「塗る」ツールで塗りつぶした感じ。ただ、音楽には独特のセンス(結局ゲームの音楽なのだが)が感じられてそのミスマッチが市販のゲームをさんざんプレイした人は奇妙な感覚でとらえてしまうのだと思う。けど基本はどこまで舞台裏見えてても平気な感じ。使用してるグラフィックとかも普通にエクスプローラで覗けてしまう。

最近になって、8bit系のゲーム音楽をネットで探し直したりしていた関係で、偶然またこのアンディーメンテの名前を見たのだが、Wikipediaを見て、実はカルト的な人気を誇っているゲーム作家さんであることを知り、驚いてしまった。

ひとつひとつのゲームは、ひらめいたアイデアをプレイできるゲームに最短期間でつくりあげた感じの、素朴なつくり。だがプレイ時間がどれも長い。1997年発足以来、活動作品数は100を超えているらしい。だからどう考えても一つに充てる製作期間は大したものでもないんじゃないかと思う。なんだかこのおいしい仕事ぶりは初期・中期のステレオラブを連想してしまう。

冒頭でゲームが好きであることは大声では言えないと言ったが、要は人生ほかにもっと大事なことがあるだろう、という世間体というか超自我みたいなものがはたらいてるからと思う。私もそんなのがあって、パソコンでゲームをしていることは高校時代はギリギリまでひた隠しにしていた覚えがある。まあそう言いつつも私もたぶんこれからも初対面の人とは「ゲームなんてやりません」という顔で接してしまうのかもしれないが。
ゲームをやっていると「いかんこんなことをやっている場合では」と思うことが多々あるが、こういうゲームをやっていると、結局ゲームをする目的というのは、この「こんな(くだらない)ことをやっている場合では」という感覚を味わうことではないかと思う。今はテレビゲームはコマーシャルなものはバーチャルリアリティの延長でとらえるのが主流みたいだ。「映画みたいな」ゲーム。ときどき動画とかを見ると、すごいなと思うし、子供の頃からこういうゲームをやればきっとスクリーンの中のほうが本物っぽく感じるようになるんじゃないかと思う。それも技術の発展の面からいってしかるべきことなんだろうが、技術的にゲームがすすめばすすむほど、同時にアンディーメンテのようなゲームがやりたくてしょうがない人がもっと出てくるんじゃないか。ちまたでは某生物ハザードのゲームの5作目が出るのなんのと言っているが、技術の発展だなんだっていうのも結局はごく一部の人にしかかかわらないことで、何でその時代のゲームがそれをいちいち反映しなければいけないんだろう、とも思ってしまう。つまり、もっと徹底的に無意味にすることが目的なら、そもそも商業的にゲームなんか作って売ろうとしたらだめなんじゃないか…なんてここまで言ったらどこかから恨みを買いそうなので自粛しますが、遊ぶ人もいい加減子供の頃からゲームやって大人になってきているわけだから、見え透いたものを作っても、結局誰も買わなくなっちゃうんじゃないかな、と思ったりもします。
まあお金持ってる人はいるだろうし、通販サイトを通してしまえば買うなんて感覚はほとんどダウンロードと同じだからら、戸棚のスペースを埋めたくて色々買ったりするのかもしれませんが。

話の趣旨が現代ゲーム批判みたいになってしまいましたが、時間のある人は一度アンディーメンテのゲームをやってみるといいと思います。
 

2009/3/17ライヂング・スター☆レジェンド Ri’dz’ing Star Legend (Andi Mente)

前のブログエントリーでアンディーメンテの話をしたのでもう少し。
このライヂングスターシリーズは1から始まって7とかまであるらしい。バージョンアップなのか?全部違うストーリーなのか?キャラを作ったらとにかく平原(島のまんなかの洗濯物の表示マークみたいな丘)で雑魚を倒してレベル上げてお金をためて、自信がついたらボスと対決。
セーブは宿屋に泊まったときだけ。ただこの宿代もゲームをロードした回数やレベルでだんだん高くなってしまうので、
あまり馬鹿な判断ばかりもしていられない。ストーリーは意外ときちんと作ってあるようで、でもやっぱりこういうのは受け入れられない人がいそう。私は640x480ドットで画面構成しているところとか、パーツにしないで全部一枚絵でグラフィックを入れてる潔さが地味に気に入った。けど明日からは忙しいのでたぶんやらない。現に今日プレイしかけて、ほんとうに危なかった。ていうか、やっていてもたぶんここには書かないでおこうと思います。


2010年11月28日日曜日

花粉症マスター(2009/4/16)

花粉症のテストの結果、みごとにスギ・ヒノキにもろ敏感であることが発覚した。
薬はすごく眠くなるのでいやだ。
今年は仕事をしていなかったのでよかったが、4月とか超忙しいのに眠くなってられないのにかといって薬を飲まないと鼻水ダーダーで仕事どころじゃくなってしまう、と今から来年の花粉シーズンが心配。
去年は全然平気だったのに。イギリスは花粉がなかったのだろうか。






2010年11月14日日曜日

2009/4/16 マリオダンテ その2

久しぶりにやってみたマリオダンテ。
第4ステージの貪欲の沼をどうやって抜けたらいいのだろうかと思っていろいろ落とし穴に落ちていたら、奥の方にヴェッティウスがいて話が進んだ。体力も回復してくれた。
そのあとは岩をころがしてる人がたくさんいるところへ。
このステージはひたすらアクションで右へ右へ、下に落ちないように、と動いていったら、そのままクリアしてしまった。
前から気になってるけど、このゲームは やはりダンテを読んでる人がやるんだろうか。
ゲームとしては「三国志」のような歴史物ともちょっと違うし、パズルといえばそうだけどけど文学的、というか、国語の問題。
PC98でゲーム作ってた人は、一般受けとかあまり考えてなかったんだろうか。
それでもこの時代の人はそれでお金もらってたのかー。


2009/07/19 そして三か月 Tre mesi dopo

ネタキラレラレル余田


新しい仕事が始まってはや3か月がたとうとしてますが、大したことをしてないのにもう色々面倒くさい気分です。
職場からはかなり近いところに住んでる(というか引っ越した)ので電車は2駅しか乗らなくていいのだけど、それでも電車に乗る前は気分が重い。
そしてなんといってもこの暑さが耐えられない!
あと洗濯物が乾かなくてつらい!
イギリスは冬は家から出たくなかったが、夏はやっぱり向こうが全然ラクラクだったなと思う。

あと地味なところで水回りの掃除が面倒。
とにかくすぐ臭いだすので早めの対策を打ってるつもり、なのですがやっぱりつらい。

とりあえず連休になったので寝たきりを満喫してます。
そしてようやくこのブログのエントリーが書けたと。
いくつか友人のライブがあるのでそういうところには顔出したいと思います。
けど仕事の締め切りも来月。色々準備しとかないと…
どうでもいいけど会社から本借りまくって勉強家に見せつけておいて、一冊も読んでないって、どうなの?
と自分にといかけつつ、今日もiアプリのロマンシングサガに大忙しです。

2009/8/31 でんわ il telefono



今日会議中に電話番になり、初めて新しい会社で電話をとった。
「もしもし 株式会社○○です」
やった、うまく言えた!

…私はプライベートだろうと会社だろうとその他もろもろのシチュエーションだろうと、
電話をとるのが嫌いだ。なぜかというと録音された自分の声がとても嫌なのだ。
だからケータイとかで自分の声がエコーで返ってきたりすると無条件でうつになる。
特に留守電にメッセージをいれたあと自分で確認するとあまりの嫌さに結局メッセージを消去してしまったりする(!)。

さらに耳も悪いのでききちがえてききなおすのが、ほんとに嫌だ。
イギリスで何回か電話を使ったときは、本当にびくびくしながらかけていた。
ほとんど誰にも知らせていない携帯に携帯会社からゲリラアンケートの電話がかかってきたときは、別にまちがえても自分の損にはなんないので適当に答えてたりしてた。けど飛行機のリコンファームとかオフィシャルな電話はホント緊張した。

就職活動のときとかで日取りを決めたり詳細をきいたりする電話とかもホント勘弁してほしくて、無理矢理「メールでもう一度送って下さいね!」とかお願いをしたものだ。
メールのある時代に生まれてほんとによかった。

2009/9/24 茄子 nasu


茄子に黄昏れらるる余田


昨日、ついに茄子料理デビューしてしまった。
その名も麻婆茄子。

素を買うタイプのやつです、ホットケーキミックスみたいに。

「麻婆」系はあまり好きではないのだが、自分で作り立てを食べたら美味しい気がした。
あまりに美味しかったのでベランダに来ていた猫にやろうかと思ったが、猫にあげてはいけない食べ物リストをまだ確認していなかったので、見せるだけにしておいた。ちなみに猫は食べ物は豆腐くらいしか食べない。

家族の証言によれば、子供の頃にものすごくナスが好きだったらしい。
食べるのが好き、というより、ナスということばと、ナスのイメージが好きだったようで、子供用のおもちゃのひらがなマグネットを与えれば真っ先に「な」と「す」を集め、野菜カード(そんなもんがあるのか?)があれば真っ先にナスの絵を手に取る、そんな子だったようだ。

なのでナスは今日で全部食べてしまった。

2009/10/26 雨 piove

雨に踊らるる余田


寝冷えして風邪ひいて会社を休みました。

午後に出社するつもりだったけど、やっぱりだめそうで結局家にいました。

雨がしとしと降っていて、去年イギリスにいた頃を思い出しました。

空が暗くて、空気が冷たくて、傘をさして買い物に行く…というのが、向こうでのありふれた午後だったのですが、今日はちょうどそんな感じだった。

来月はまた仕事が忙しくなりそうだ。


(2010/11/14)
最近もこういう気候ですが、良い季節だなあと思っているとあっという間に寒くなってしまうのです。
とりあえず今年は年末が忙しくないといい。

2009/11/8 お金のなる木 un albero di soldi

私はお金にはケチです。

けど、お金にケチることで精神的に負担がかかって生活に支障がでるな、と深読みしたときは、お金のことは気にしないことにしています。
なので、「今日はスーパー○○のポイントカードが3倍だから買い物して帰ろう」とかはあまり思いません。
けど、近くのスーパーは私が行くと2分の1ぐらいのたいていポイント倍デーになっていて得した気分です。
なので、最近はそこばかり行っていたんだけど、この間、突然カードがなくなってしまい、レジでごそごそごそごそ最後まで往生際悪くやっていたのだが、レジの人はカードを持っているかすらきいてこなくて、結局レシートだけ受け取ってすごすごと袋しまいコーナー(スーパーの中のあそこはなんて言う名前なのか?)で喉のつかえがとれぬまま買いすぎた品物を鞄に入れている私の姿があった。

私の心の中に、なぜか「お金のなる木」というイメージが子供のころからあります。
たぶん小学生のときに「あさりちゃん」という漫画を読んでいて、そこで主人公のあさりが500円玉のなるお金のなる木の鉢植えをもらってくるエピソードから植え付けられた記憶だと思います。

お金をためるのが下手なので、お金のなる木などをベランダに鉢植えなどにして待ちぼうけなど、正直してみたいとも思わなくもないのですが、世間体やモラルというものもあり、その話はそこそこ親しいドイツやイタリアの友人にメールでちょいと愚痴った程度で、あまり公にすることがありませんでした(そのときは、結局ドイツの方はその話題はスルーされ、イタリアの方は「え、何の木??」と演技なのかマジなのかわからない好奇心を醸し出す疑問符付きで返信が来た)。

で、なんでその話かというと、やっぱり去年イギリスで浪費してしまった分のお金を今年は是非取り戻したいと思ったのですけど、やっぱり特にお金がたまる努力もしていない(あまり仕事で成果を出してもいないし、かといってお金を節約する意思はあっても、続ける心の強さが無い)ので、海外に出たりするのは今年はきびしいのかなと思いつつ、やっぱり冬休みとかにはまたどこか海外行きたいなとも思っている今日このごろなのでした。

古代のお金に依存さるる余田


(2010/11/14)そして、そこのスーパーはつぶれました。

2010年10月31日日曜日

2009/11/29 年末 Si aviccina la fine dell’anno

年の瀬がやって参りました。



年の瀬は忙しいとよく言いますが、どっちかというと自分は12月が特別忙しい月だとは思わないのです。なぜなら他の月も十分忙しいから。その準備をする前の11月とかのほうが、むしろ忙しいと思ったりする。「ほら年末忙しくなるから今のうちにやっておきましょうよ!」という迷惑なアレです。12月が忙しいのは、まわりがなんだか忙しい雰囲気になっているだけなのではと思ったりもする。こんなことを言うとまた浮世離れしてると思われそうだが。

来週がまたイタリア語の試験なので気を引き締めたいのだが、読解パートなのであまり詰め込み勉強しても効果はなさそうだ。個人レッスンで先生についてもらってはいるが、毎回先生に申し訳ないと思ってしまうほど、単語調べができてなかったり、こう、順を追って冷静に考えればわかるようなところがわからないで質問をしてしまったりする。とりあえず毎日時間をとって読む動作を続けるしかないか、と思う。
実はそういう意味では昼休みにイタリア語の本を読んではいるのですが、会社なのでいまいち気分が切り替えられないし、食後にぼーっとしている、しかも限られた時間、なのでほとんど目で文字を追った、単語をいくつか調べた、という感じでページを進めてしまい、結果、何もわかってないまま、一章終わっていたりする。

けど早く寝るのも大事。


これも何だか必死な学生のようで今振り返ると若干微笑ましく思う。最近はプログラム関係の勉強でしかも枝葉の話なので、こういうブログに書くのもどうなんだろう、と思うと結局ひとりで淡々と勉強する時間が過ぎていて、もんもんとする日々です。
早くやっておきましょうよ、というのはいわゆるGW進行のような現象について言おうとしたんだと思う。
今年は年末どうなるだろう。
長い休みがとりたい。

2010/12/5 電車 il treno


今週は仕事が最後まで終わらないまま週末を迎えて、けど日曜には試験が待ち受けておるという、なかなか綱渡りな日々でした。

引っ越してからは職場に近くなって電車に乗る時間がぐんと短くなったので逆に電車に乗る時間が楽しみだったりする。もちろん帰りだけだったが。朝は都内である限り電車は毒の沼地並みのHPマイナス地帯だ。

そんな中、帰りの電車でふと80年代バブリーヘアな女性(やっぱり猫が好きとかに出てくる姉妹のソバージュっぽい髪型)が雑誌を読んでいて、別にとりたてて見てやろうと思った訳ではないけど、目を向けたらその雑誌の表紙には「ファ」で始まるタイトルが書いてあった。なんかBLかなんかの雑誌かなと思ってタイトルをよく見たら「ファミ通」だった。ファミ通を読んでいる人はXBOXのゲームをやってる予感がして、その女の人がXBOXでゲームしてる姿を想像したが想像できなかった。しかもその人は優先席に乗っていた。それだけ。


私は実は家庭用ゲーム機を買いたいと思っているのだが、
部屋が片付かなくなる事をおそれて踏み切れない。
かろうじて買ったのが、PSP GOというので、
すべてダウンロード販売だから箱とかで片付かなくなる心配もなくなるはずだったのだが、
最近はオプションのワンセグチューナーとかクレードルも買ってみようかな、
と思いつつ、S○NYの純正周辺機器は高いしいかにも思うつぼのようで悲しい。
気がつくとPS3を買っているんじゃないか、と思うほど被害妄想がある。
若い頃はオーディオとか何でもSONYにしたがっていたが、最近はそうでもない。
私はゲームに限ってはXBOXのほうが面白そうだと思っている。

2010/1/11 いちご大福 icigo daifuku

初夢ではないのだが、去年の年末に見た夢が印象的だったので起きたときに即座にメモした。以下原文

天皇様におみやげをあげるために 東京側からニコ多摩でなく三件じゃやで降りようとする
とちゅうやむなく歩いていくが双方から列車が行き交う
避けながら歩くがついに向かいがわからの電車をさけられず横になる
天皇様は粗末な運動場の観覧席みたいなダンになったところにすわている
に色の着いたいちご大福をあげる
ひとり1個ずつだといいながら


キーボードで必死で打ったので変換ミスが多い(ニコ多摩→二子玉、二子玉川 駅のこと、 三件じゃや→三軒茶屋)
あと最後の三行はこう。


天皇様は粗末な運動場の観覧席みたいな段になっている席に座っている
天皇様に色の着いたいちご大福をあげる
「ひとり1個ずつだ」と言いながら。


なんでこれが印象的だったかというと「天皇様」なんていう右寄りな言葉が出てきたからだ。
自分の精神がそういう風潮に傾きつつあるのだろうか。
てんのうさま、など生まれてこのかた口にしたことのない言葉だ。

ビジュアル的にはヨダンテがコンビニ袋に入ったおみやげのいちご大福を崩れないように大事に持ちながら、スタンドバイミー風に線路を歩いている。上の絵のような感じだ。
あと天皇様はペンギンだった。
こういう夢だといやに自分の動きがとろかったりして、何かをよけようとしてもよけられなかったりする。
電車にはねられて痛いとかそういう夢ではなかったのでよかった。(痛い夢はたいてい実際の腰とか肩とか背中とかの身体の痛みがもとになって見たりするが、そういうのではなかったということ。)それにしてもなぜ、いちご大福が帝への献上物になったのだろうか?

年末はこのあと会社にちょっと行って仕事納めになったのだが、初夢はとくにそれらしいものを見なかった。

こういう啓示的な夢はあまりたくさん見ないので、何かしら人生の岐路だったのかと思っているのだが、そのあと宗教に目覚めたとか、脳内革命がおこったとか、そういうことはなかった。ただ線路を歩く夢はたいていの場合、後ろから電車が追って来てあわてたり、誰か知り合いが敷かれて悲鳴をあげたりするいやな感じの夢が多いので、これは比較的穏やかな夢だったと思う。