2011年4月30日土曜日

余田が雑誌を上手く読めない理由

私は昔から雑誌類を買うだけで、うまく読めたためしがない。後から、すごく無駄使いをした気になる。

まあよく考えてみれば本もあまりうまく読めていないんだけど、雑誌のほうが、何と言うか扱いがひどくなっていまう。何かの下敷きになったりとか、丸めてどこかに入ったまま放置とか。

実際本より雑誌のほうで無駄遣いになっているという(家計簿的視点での)統計が出ているかというと、そうでもないと思う。厳密には計算していないけど。

では、どういうことなのか。

本を読むのは嫌いではない。

それなのに、日常生活ではたいてい読書よりももっとプライオリティーが高いことがある。結果、本を読むのはどうしても途切れ途切れになってしまう。仕事がある日なら、休み時間とか、会社から比較的早く帰って来れた日の夜だとか。

でもやっぱりペースが自分が計画していたのと比べ、遅くなってしまう。

最近まともに読めたのは Vitezslav Nezvalの Valerie and her week of wonders。

これは動機があったのというのと、比較的持ち歩きやすい本だったのが大きかったかもしれない。

で、雑誌はというと、技術○論社のSoftw○re Design(別に中傷ではないのだが、何だか伏せ字にしたかった)。
というと、到底昼休みに持ち歩ける感じではない。
私がお昼を食べるのは会社の組合つながりの日本料理屋なので、人に見られるのがはばかられてしまうのだ。

私が読む雑誌というのは月刊誌だから、というのもあるのかもしれない。

先ほど述べたようにひと月周期で読み切れない、というのもある。

しかも月刊ぐらいだと、前の月のを買わなかったりするのが嫌なので、読まずにたまってしまのである。



ということを、部屋の片付けをするために思う。
今日の片付けでは、クリスマスのイルミネーション特集のを見つけた。
どういう心意気で買ったかというと、こんな感じだ。

「毎年12月は忙しいから少し先取りしてこういう雑誌を読んでおき、社会の流れを知っておこう。」

で、最初の2、3ページを読んでみて、そのイルミネーションのところに行く前に、何か面白い記事を見つけてそこに気が取られて結局肝心のイルミネーションについては読まなかったことを思い出した。今日は4月の最後の日である。去年は結局年末はてんてこまいでイルミネーションはおろか友達にも1回会ったのみである。

最近は一般書籍の電子ブック化が進んで、こういう性癖の私でも何とかなるか?と思ったこともある。最近は洋書であればKindle for Androidを使ってスマートフォンで読んでしまっている。

ただ雑誌だと私が読みたいのは日本語のものが多い。

でも日本語まわりの電子ブックの規格はあんまりまとまりがないし。

というわけでやっぱり紙の雑誌を買って、そして読みきれないのである。


やっぱり、雑誌だから、雑に読んだ気がして、それでもったいない気がしているのだろうか。

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